【インタビュー】Misia Ff(ミシャ・エフエフ)


Witam!!

Paulaです☆
今日はポーランドでおこなってきたポーランドのアーティストインタビュー第5弾をUPします。わたしも大好きなシンガー・ソングライター、Misia Ff(ミシャ・エフエフ)とカフェに座って、ソロプロジェクトのことやバンドのことなどなど聞いてきました♪
ではどうぞ!

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昨年末にソロデビューとなる「Epka」をリリースしたところだけど、反応はどう?

今のところレビューはとても良いわ。リリースしてから1週間ほどしか経っていないから、まだそんなに多くは出ていないけれど、“Polityk(ポリティク)誌や、ほかのいくつかの新聞に出ているのを見たから、最高だわ。インターネットでもブログに最初のCDレビューが出始めているわね。本当のところ、唯一悪く書かれているとすれば、EPが短すぎるってことだから、これからフルアルバムを作ることへの良いサインだと思う。



どのようにソロプロジェクトが始まったの? 前から計画していたの?

「Epka」に入っている曲はみな共作だったり、デュエットだったり、もうだいぶ前からある曲よ。でもバンドTres.B(トレ・ベー)がわたしの中心的な活動だったから、いつもバンドが最優先だった。ほかのことはすべて後回しになっていたけど、バンドが1年間活動停止することになって、みな自由に自分のやりたいことをやっていい機会ができたので、わたしは自分の曲に取り組み、レコーディングしてリリースしたというわけ。だから、決して前からソロでなにかリリースするのを計画していたわけじゃないのよ。むしろ逆で、この状況がそういう結果をもたらしたという感じね。


なぜ最初からフルアルバムを作らなかったの?

既にたくさんの手をつけているラフがあって、1枚のアルバムを作るにはもっとたくさんの時間が必要だったの。でも「Epka」もバンドとは違う内容で、わたしを表現する形なのよ。だからこれは完全にわたしだけの著作物というのとは違うの。もっと“他のアーティストとわたし”という意味合いね。アルバムは、もっと確実に“わたし”を表現するものになるから、より重要よ。


「Epka」には英語とポーランド語の歌が入っているよね。あなたにとって曲作りのときに言語の違いってある?

確実に、とても大きな違いがあるわ。英語で書くときは、よりフィクションぽく、物語があり、原因と結果がある感じで作るの。一方ポーランド語で書くときは、もっと言葉で遊んでいて、より詩的でリズミカルなのよ。言語としてまったく違うものだから、その違いも間違いなくとても大きいわ。


「Epka」を聴いていると90年代っぽいな、って個人的には感じたよ。

笑! そんなつもりはなかったし、特定の時代を狙ってもいなかったわ。どの曲もわたしにとっては、それぞれまったく違う物語を持っているの。それぞれ違う時期や場所に属しているのよ。だから狙ったわけじゃないけど、90年代育ちだから、もしかしたらわたしのどこかに90年代らしさがあるのかもね。笑


Tres.B(トレ・ベー)のメンバー抜きでの作曲作業はどうだった?

「Epka」に入っている曲のほとんどは、わたしが作曲したものではないの。だから一番の挑戦だったのは「Kartonem(ダンボール)」ね。この曲は完全にわたしが書いたもので、実際にこの10年で初めてバンドメンバー抜きで曲を仕上げなければいけなかったから。もちろん、アレンジは素晴らしいプロデューサーであるレシェク・ビオリクと行ったけど、この曲は生で作曲するというより、PCでの作曲作業だったのよ。この何年か、バンドではセッションのときにお互い何かラフを出し合って、生楽器を使いながら作曲していた。だから、今回のレシェクとのスタジオでの曲作りは挑戦だったわ。「Kartonem(ダンボール)」は間違いなく生演奏するには一番難しい曲だったけど、昨日リハをやったときは、一番重要な音を演奏するようにしてみたらOKだったわ。



リードシングル「Mózg(脳みそ)」は素敵なポップソングだよね。この曲のバックグラウンドを教えて。

この曲はリカルダ・パラソルとの共作なの。リカルダ・パラソルはサンフランシスコ出身のシンガー・ソングライターよ。彼女がポーランドに来たとき、一緒にLIVEをやったの。「Otwarta Scena(オープン・ステージ)」というプロジェクトのために生セッションしたのよ。まさに、わたしのアルバムのプロデューサーで、バンドでもベースを弾いているレシェク・ビオリクが、このプロジェクトの責任者なの。とにかくリカルダからこの曲のオリジナルデモをもらったとき、レシェクとポーランド語の歌詞を考え始めたわ。そしたらポーランド語の詩はまったく違うリズムを持っていることが判明したの。それはすべて歌のリフレインに反映されているわ。リズムが違うから、ドラムのアレンジを完全に変える必要があったし、後には他のパートも変えなければならなかった。だから、アレンジはポーランド語の歌詞から生じたものなの。おもしろい実験だったわ。

 Rebeka(レベカ)のバルテク・シュチェスネとの仕事はどうだった?いいリミックスだね。

バルテクは大好き。もう古くから知っているの。リミックスをやる時間があって、彼がこの曲を感じてくれて、とても嬉しいわ。アレンジのとき遠慮していたのを知っているけど、わたしはこのリミックスとても気に入っているわ。彼はとっても有能な人だし、「Epka」にバルテクのリミックスを入れることができて、満足しているわ。


ベースがヘビーだけど、メロディーは明るくて、「Pie In The Sky」という曲が大好き。

これはオランダのマーストリヒトのThe Mad Tristというバンドの曲なの。彼らはわたしたちの仲がいい友達で、一緒にリハをやったり、フェスに出演したり、のちには同じマネージャーを持っていたりしていたぐらいよ。彼らはヘビーでディストーションされたギターサウンドみたいなバンドで、一方わたしたち、Tres.B(トレ・ベー)はもっとメランコリックで、蝶々型のベースを弾く女の子がいるようなバンド。わたしもギターサウンドは好きだから、彼らのプレイが好きだったんだけど、こんなに長く知っているのに、一緒に何かやるって話になったことはなかった。たしか2月くらいに彼らが最新アルバムをリリースした頃、ちょうどオランダのフェスで一緒になったの。最新曲を聴いて、すごく気に入ったわ。それで、わたしと違うバージョンをレコーディングしようって提案したのよ。新バージョンは、彼らのiTunesでのB面にボーナストラックとして入ることに、そしてわたしの「Epka」の収録曲に入ることに決まったのよ。



あなたが最初に音楽を始めたときのことを話してくれる?

6歳のとき音楽学校に通い始めたわ。でも意欲を起こさせてくれないような、失望的な学校で、嫌いだった。ピアノと音律学のレッスンはとても好きだったけど、他のレッスンにはいい思い出はないわ。一番たくさん勉強したのは家で。父がアコーディオンを弾いて、わたしがそれを耳コピするというのをよくやっていたの。それから10歳のときに、“仕方ない、ミュージシャンにはならない”と思って、その学校は辞めてしまったわ。でも10年後にインターネットで、デンマークの音楽学校での音楽コースを見つけて、また挑戦することにしたの。結局音楽から離れられなかった。人生で一番大事なステップだったわ。それがきっかけでデンマークへ行き、Tres.B(トレ・ベー)のメンバーたちに出会えたから。一人はギターを弾き、もう一人はドラム担当だったから、彼らはこう言ったの。「じゃあ両手が空いているんなら、ベースを弾くんだな」ベースなんてまったく弾けなかったから、「そんなの無理、ギターも弾いたことないのに」って答えたわ。でも少しずつ弾き始めた。一番大事だったのはメンタル面での変化だった。実際に、あそこの人たちは皆、やって来て、楽器を手にして、それを感じることができたら、そのまま演奏するような人たちなの。音楽学校の卒業証書を持っていない人はミュージシャンじゃないからプレイできなくて、持っている人だけが弾く、とかじゃないのよ。音楽的才能があるかないか、なの。だから、わたしも音楽をやっていいんだって考え直したわ。デンマークへ行く前から既に、音楽から頭が離れなくなっていて、家でたくさん曲を書いていたしね。たぶんまだネット上にその頃作ったEPが上がっているんじゃないかしら。すごくローファイだけど、全部自分でレコーディングして、プロデュースもしたわ。そうやって既に自分で学び始めていたのよね。それってもう12、3年前のことだから、その頃からもう自分の音楽活動にはなにかあるって分かっていた。だから勇気を出して、デンマークへ引っ越し、コースを受けるという決断をして、本当に良かったと思ってる。そのおかげで、考え方を変えることができ、音楽学校を卒業していなくても音楽をやっていいんだ、と信じることができたから。


あなたの蝶々型のベース、すごく可愛い。どこかで買ったの?

そうなの。注文して作ったわけじゃなくて、買ったのよ。子どもや女の子向けの楽器を作るアメリカのブランドがあるの。いろんな色や、ハート形とか花の形の楽器があるのよ。大体は子どもっぽいんだけど、あの蝶々型はなんだかわたしに合っていたの。インターネットで見つけて買った。届くのに半年もかかったから、新品を買ったのに、届く頃にはヴィンテージになってるって冗談を言ってたわ!笑 でもずっとそのベースを持っているし大好きよ。一昨日メンテナンスもしたから、まだこの先もプレイできるといいなと思ってる。


インターナショナルに活動する予定は?今のところはポーランドだけ?

どうなるかしら。ポーランドには本格的な海外向けの事務所はないけど、ポーランドでもインターナショナルに活動が出来るようになる時期が来ているように感じるわ。アダム・ミツキェヴィチ・インスティテュートは、アーティストを海外のショーケースに送ってくれるし、海外のフェスのオーガナイザーたちとのネットワークも広げている。わたしは海外でも活動したいと思っているわ。デンマークやオランダに住んでいたから、ネットワークや友達もあるし、イギリスや他の国にもつながりはあるの。取り組んでみなくちゃね。まずはアルバム制作から始めるわ。笑


日本に来たことはある?

一度もないわ。


日本について気に入っているものや、日本にまつわる思い出はある?

とてもシンプルな連想なんだけど、まず最初に映画「ロスト・イン・トランスレーション」を思い出したわ。からかうような意味合いでは決してないわよ。ただ考えてみると、ワルシャワやほかのヨーロッパの街と、東京の街の巨大さを比べると、とても比べものにならないよね。もっとずっと巨大で、どこを見たらいいか分からなくなっちゃうわ。だから、行ってみたいけど、一人旅とか、誰か訪ねる人もなしに行くのは無理ね。行って2時間後には、どうしたらいいか分からなくなって発狂しちゃうかもしれないもの。だから、日本は巨大な建物のイメージがするわ、歴史的なという意味じゃなくて、最先端のという意味で。


日本に来たら訪ねてみたい場所ややってみたいことは?

できることなら、なんでも。一度も行ったことがないから、すべてに興味があるわ。是非美術館に行きたいわ。それから人々の暮らしが見たいから、誰かの家を訪ねたい。


ラジオ番組を持っているよね。どうやって曲を選んでいるの?

実際のところ、リリースされたばかりの曲をかけるようにしているわ。リスナーが最新のものをオンタイムで聴けるようにね。誰かのコンサートがあったり、アーティストをゲストに呼んだりする時には、テーマを決めてかけることもあるわ。 ゲストがお気に入りの曲を持ち込むこともあるし。音楽番組だけど、いつも2時間目には音楽にまつわる議題でディスカッションしたりもするから、その関係でかける曲もあるわね。でも必ずしもわたしが好きな曲をかけているわけではないの。ジャーナリストの役割は人々の生活を楽にするような情報を提供することだと考えている。その場合、大事なのは情報と主張を一緒に提供しないこと。でも音楽ジャーナリズムにおいても、とても主観的な世界であるけれど、曲を流して、「わたしはあまり好きじゃないけど、多くの人はきっと気に入るかもしれないから、聴いてみて」と言うことはできるわ。


近い将来の予定は?

今日はウッチにLIVEをしに行くわ!笑 12月にはワルシャワでプロモツアーがあって、ジェロナ・グラやトルンでもライブするわ。Tres.B(トレ・ベー)でのLIVEもまだポーランドとドイツであるの。来年(2014)も何かしらミニツアーをやると思うけど、アルバム制作のためにあたためているアイデアを 形にして仕上げたいと思うわ。


Tres.B(トレ・ベー)とはどうなるの?

Tres.B(トレ・ベー)は2014年の1年活動を停止するの。今年の残りのLIVEが終わったら、来年はお休みで、2014年の終わり頃に会って今後のことを決めるわ。もし何かやりたい、というエネルギーが皆にあれば活動するけど、もしそう感じられなかったら、無理やり活動するのって無意味だと思う。わたしたちはとても素晴らしいCD「40 Winks of Courage」をリリースした後なの。大好きなアルバムだし、妥協しなかったから、わたしもあとの2人も100%祝福できる。無理に活動を再開して、あとで誰も満足しないような作品を作るよりは、そんな素晴らしいCDで活動を終える方がいいと思う。こうも少し感じるわ、立ち上がり、出て行くときを知るべきだって。無理やりじゃなくてね。でもそのためにこの1年があって、それぞれ自分のやりたかったことをやったり、エネルギーを回復したりする自由な時間があるのよ。もしかしたら、まったく新しいエネルギーを得て、また一緒に活動したいって思うかもしれないわ。どうなるかみてみましょう。


無人島に3枚CDを持って行くとしたら?

わたしはノンストップで音楽を聴くから、すごく難しいわ!概してアルバムに関係なく、別々に曲単体で聴くことが多いの。でも何枚か1枚を通して聴くアルバムもあるわ。3枚のうち1枚はPJハーヴェイね、それもたぶん「Is This Desire」。あとザ・ナショナルの「High Violet」。それから最近LIVEを見たし、大好きなバンドだから、ローカル・ネイティブズの「Gorilla Manor」を選ぶわ。




ありがとうございました!
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ちなみに☆
こちらで2曲Misia Ff(ミシャ・エフエフ)の歌詞を訳してますので、チェックしてね♪

Mózg(脳みそ) by Misia Ff(ミシャ・エフエフ)

Kartonem(ダンボール) by Misia Ff(ミシャ・エフエフ)


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【Wywiad】Misia Ff



Witam!

Dziś dodaję do blog wywiad z Misią Ff, który robiłam w listopadzie w zeszłym roku.
Usiadłyśmy w kawairni w Warszawie i rozmawiałyśmy o jej solowym projekcie, o zespole i coś jeszcze...

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Niedawno wyszła twoja solowa debiutancka „Epka”. Jaka jest do tej pory reakcja od ludzi?

Na razie są bardzo dobre recenzje. To jest tydzień raptem na rynku, więc to nie dużo, ale widziałam już, że w Polityce była, i w kilku innych gazetach, więc fajnie. Też w internecie, na blogach pojawiają się pierwsze recenzje. Tak naprawdę, to jedynie co złego ludzie piszą to, to, że może jest za krótka ta epka, więc to jest dobry znak na nagrywanie przyszłych już dłuższych płyt.


Jak się powstał twój solowy projekt? Już długo o tym myślałaś? 

Te piosenki, które są na „Epce”, to są współprace, duety, to są piosenki, które od jakiegoś czasu już istniały. Ale ponieważ głównym moim zajęciem był zespół, to właśnie zespół był zawsze na pierwszym planie. Wszystkie inne rzeczy nie mogły wyjść do przodu, więc teraz kiedy pojawiła się okazja, że zespół się zamraża na rok i każdy robi swoje rzeczy, ja te rzeczy swoje zebrałam, dokończyłam i wydałam. Także to nie jest tak, że w ogóle planowałam je wydawać czy zamierzałam wydać coś solo. Tak naprawdę sytuacja spowodowała, że je zebrałam, a nie odwrotnie.


Dlaczego nie robiłaś od razu cały album?

Ja mam dużo pozaczynanych szkiców i skończenie całej płyty wymagałoby więcej czasu. A to też jest taka forma pokazania mnie w innych kontekstach niż zespół. Więc to jest coś innego niż konkretnie tylko moja autorska wypowiedź. To bardziej ja w kontekście innych ludzi. Płyta będzie dla mnie ważniejsza, bo będzie na pewno bardziej „moja”.


Na „Epce” znajdują się piosenki po polsku i po angielsku. Czy jest dla Ciebie różnica w tworzeniu z dwoma językami?

Na pewno, jest bardzo duża różnica, bo ja jak piszę po angielsku, to bardziej prozą, jest historia i to się jakoś przyczynowo - skutkowo układa. Natomiast jak piszę po polsku, to bardziej bawię się słowem, bardziej to jest jakby wierszowane, rytmiczne. Zupełnie inna materia językowa, więc różnica jest na pewno bardzo duża.


Wydawało mi się, że na „Epce” można czuć taki klimat z lat 90.

(śmiech) Nie miałam takiego zamierzenia, nie celowałam w żaden czas. Te piosenki dla mnie, każda, mają zupełnie inną historię. Do innego momentu i miejsca przynależą. Nie planowałam tego, ale wychowywałam się w latach 90tych więc gdzieś to pewnie we mnie siedzi. (śmiech)


Jak Ci szła praca nad komponowaniem bez chłopaków z Tres. B?

Piosenki na Epce to w większości nie są moje kompozycje, więc największym wyzwaniem była piosenka „Kartonem”, ponieważ jest całkowicie autorska i to rzeczywiście było pierwszy raz od prawie 10 lat, kiedy bez chłopaków musiałam kończyć piosenkę. To znaczy, oczywiście ją aranżowałam z producentem, Leszkiem Biolikiem, który jest świetny, ale to było bardziej pisanie przy komputerze, a nie pisanie na żywo. Z zespołem te ostatnie lata pisaliśmy w ten sposób, że wrzucaliśmy sobie jakiś szkic na warsztat na próbę, i pisaliśmy używając żywych instrumentów. Natomiast tutaj kończenie tej piosenki z Leszkiem w studiu to było wyzwanie. „Kartonem” było na pewno dla nas najtrudniejsza do zagrania na żywo, ale mieliśmy wczoraj próby i po prostu zebraliśmy to, co najważniejsze i jest ok.



„Mózg” to jest świetny popowy kawałek. Czy pamiętasz jak ona się powstała?

To jest piosenka, która jest moją współpracą z Rykardą Parasol. Rykarda Parasol to jest taka songwriterka z San Fransisco. Ona była w Polsce i zagrałyśmy razem koncert, nagrałyśmy razem sesję na żywo dla „ Otwartej Sceny”. Właśnie Leszek Biolik, który jest producentem mojej płyty i basistą na żywo w moim zespole, jest osoba odpowiedzialna za te sesje. W każdym razie jak dostaliśmy z Leszkiem oryginalną wersję tej piosenki i przymierzyliśmy się do polskiego tekstu to się okazało, ze język polski to jest zupełnie inna rytmika. To wszystko wyszło w refrenie - inny rytm, co spowodowało zupełnie inne aranży bębnów, i potem kolejnych instrumentów. Także aranżacja wyniknęła z polskiego tekstu, to był ciekawy eksperyment.


A jak się współpracowało z Bartkiem Szczesnym? Jest to fajny remix.

Bardzo lubię Bartka. Znamy się od lat. Bardzo się cieszę, że miał czas i że poczuł tę piosenkę, bo wiem, że się sam wahał w tym aranżu, ale bardzo lubię jego remix. Też uważam, że on jest bardzo zdolny, jestem bardzo szczęśliwa, że jest jego remix na tej płycie.


Super mi się podoba ta piosenka „Pie In The Sky”, bo jest w tym taki ciężki bas i melodia miła do uszu.

To jest piosenka zespołu The Mad Trist, z Maastricht. Oni są naszymi przyjaciółmi, taki pierwszy zaprzyjaźniony zespół, że graliśmy razem próby, festiwale, potem mieliśmy tego samego menedżera. Oni byli takim zespołem ciężkim, przesterowane gitary i w ogóle, a my, Tres. B, takim bardziej melancholijnym, z dziewczynką na basie w kształcie motyla. Zawsze mi się podobało jak oni grają, bo ja też lubię takie gitarowe rzeczy, ale jakoś nigdy się nie złożyło, żeby coś zrobić razem mimo, że znamy się do lat. I jak wydali tę najnowszą płytę, chyba w lutym jakoś, my akurat graliśmy na festiwalu w Holandii. Usłyszałam pierwsze nagranie z tej nowej płyty i strasznie mi się spodobało. Zaproponowałam, żebyśmy zrobili jakąś wersję ze mną. Umówiliśmy się, że ta nowa wersja to będzie dla nich B side na iTunes, czyli to będzie inna wersja bonusowa, a dla mnie to będzie moja główna wersja tej piosenki na tej „Epcę”.


Teraz możesz mi powiedzieć o tym, jak i kiedy zaczęłaś robić muzykę na początku?

Miałam 6 lat i poszłam do szkoły muzycznej. Nie cierpiałam tej szkoły, to było antymotywujące, frustrujące. Bardzo mi się podobały lekcje na fortepianie i rytmika, ale pozostałe rzeczy źle wspominam. Najwięcej uczyłam się w domu, gdzie mój tata mi grał na akordeonu, a ja ze słuchu za nim powtarzałam. Potem jako 10 latka rzuciłam tę szkołę muzyczną, myśląc sobie, że trudno, nie będę muzykiem. Ale 10 lat później w internecie znalazłam szkołę muzyczną, kursy muzyczne w Danii i postanowiłam, że pojadę tam i spróbuję, bo cały czas gdzieś to chodziło za mną. Był to w zasadzie najważniejszy ruch, który wykonałam, bo pojechałam do tej Danii i tam spotkałam chłopaków z Tres.B. Jeden grał na gitarze, drugi na perkusji, więc było powiedzieli mi „no słuchaj, jak masz wolne ręce to grasz na basie”. Ja nie umiałam kompletnie, powiedziałam, że to się nie da, bo nigdy nie grałam na gitarze. Ale jakoś tam krok po kroku zaczęłam grać i przede wszystkim najważniejszą rzeczą była dla mnie zmiana mentalu. A mianowicie, że wszyscy tam są tacy, że po prostu wchodzą, biorą instrumenty i jeżeli to czują jakoś, to grają. To nie jest tak, że kto ma dyplom ten zagra, kto nie ma dyplomu i nie skończył szkołę, nie gra, bo nie jest muzykiem. Albo masz i czujesz to, albo nie. Także otworzyłam się na tę myśl, że mogę robić muzę, tym bardziej, że jeszcze przed wyjazdem do Danii, jak to zaczęło za mną chodzić, to sobie pisałam w domu bardzo dużo. Chyba nawet do tej pory wisi gdzieś w internecie moja epka z wtedy, taka bardzo lowfijowa, całą sobie ją nagrałam, wyprodukowałam, więc też się uczyłam jak to się w ogóle robi. I to było tak ze 12, 13 lat temu, więc już wtedy wiedziałam, że tak naprawdę o coś mi chodzi w tym muzykowaniu i bardzo się cieszę, że się odważyłam wykonać ten ruch, te przeprowadzkę do Danii, bo to spowodowało, że zmieniła mi się przestawka w głowie i jednak uwierzyłam w to, że mogę robić muzykę też i bez szkoły.



Masz bardzo śliczny bas w motyle. Gdzieś to kupiłaś?

Tak, tak. On jest kupiony, nie robiony na zamówienie. To jest taka marka amerykańska dla dzieci i dziewczyn. W różnych kolorach, w kształcie kwiatka, w kształcie serca. Generalnie są infantylne, ale ten motyl jakoś tak się wpasował. Znalazłam go w internecie i kupiłam kompletnie w ciemno. Pół roku do mnie szedł pocztą, więc się śmiałam, że kupiłam nowy, a doszedł, już vintage. (śmiech) Ale cały czas go mam, i był przedwczoraj w naprawie i mam nadzieję, że jeszcze długo mi posłuży, bo bardzo go lubię.


 A czy będziesz działać międzynarodowo, czy na razie tylko w Polsce?

Zobaczymy. Polska nie ma jeszcze prawdziwego biura eksportowego, ale też wydaje mi się, że jest to pierwszy moment, kiedy to się staje powoli możliwe. Jest Instytut Adama Mickiewicza, który wysyła na showcase’y, zaczyna mieć network ludzi współpracujących z festiwalami zagranicznymi itd. Ja bardzo bym chciała być bardziej obecna zagranicą, bo jednak mieszkałam w Danii i w Holandii, mam network, przyjaciół, też w Anglii i innych krajach. Trzeba nad tym popracować. Zacznę od płyty (śmiech)


Czy kiedyś byłaś w Japonii?

Nigdy.


Czy masz coś ulubionego z Japonii czy wspomnienie związane z Japonią?

Mam takie bardzo proste skojarzenie, bo mi się kojarzy natychmiast „Lost In Translation”. To nie w sensie, że to jest jakieś prześmiewcze w żaden sposób, tylko jak ja o tym myślę, jakby Warszawa czy wszystkie miasta w Europie w porównaniu z tym wrażeniem wielkości miasta w ogóle jak tam się zjeżdża, to nie ma jak porównać. Dużo większe i w ogóle, że nie wiadomo na co spojrzeć. Też sobie myślę, że chciałabym pojechać, ale nie mogłabym sama pojechać albo nikogo nie znając, bo po 2 godzinach bym zwariowała i nie wiedziała co zrobić ze sobą. Więc kojarzy mi się w tym sensie z taką monumentalnością, ale monumentalnością nie w sensie historycznym, tylko w sensie nowoczesności.


Co byś chciała zrobić, zwiedzać jak będziesz w Japonii?

Wszystko, co się da. Nigdy nie byłam, więc wszystko mnie interesuje. Równie chętnie bym poszła do muzeum i do kogoś do domu zobaczyć jak to tam wygląda.


Masz swoją audycję w radiu. Jak wybierasz piosenki?

Tak naprawdę staram się grać dużo premier, żeby być na bieżąco jakby pokazywać ludziom co nowego można usłyszeć. Ale też gram tematycznie, jak są koncerty albo zapraszamy ludzi na wywiady czasem, oni też przynoszą jakieś swoje ulubione piosenki, więc różnymi kluczami. Nasza audycja to jest audycja muzyczna, ale też w drugiej godzinie zawsze mamy jakieś dyskusje związane z branżą muzyczną i wtedy też w kontekście tego gramy piosenki. Ale nie zawsze gram tylko to, co mi się podoba. Uważam, że rolą dziennikarza jest to, żeby ludziom podawać informację, które mogą im ułatwić życie. W dziennikarstwie informacyjnym to jest najważniejsze, żeby nie podawać informacji od razu z tezą, ale nawet w dziennikarstwie muzycznym, mimo, że jest totalnie subiektywne można puścić piosenkę i powiedzieć „ja tego nie czuję, ale zróbcie z tym co chcecie, wielu osobom może się to na pewno spodobać”.


 Jaki masz na plan na najbliższej przyszłości?

Dzisiaj jadę do Łodzi grać koncert! (śmiech) Mam koncert promocyjny w grudniu tu w Warszawie, mam koncerty w Zielonej Górze, w Toruniu. Mam koncerty jeszcze z Tres..B, w Polsce i w Niemczech. Na przyszły rok myślę, że też chyba będzie jakaś mniejsza trasa, ale zależy mi nad tym, żeby kończyć moje szkice, które mam rozgrzewane, żeby jakoś się zabierać za materiał na jakąś dłuższą formę.


A co dalej będzie z Tres. B?

Zespół Tres. B ustalił, że się zamraża na przyszły rok czyli na 2014. Także dogramy te koncerty,
które mamy w tym roku, przyszły rok to przerwa, no i gdzieś tam pod koniec 2014 spotykamy się i ustalamy co się dzieje. Jeżeli będziemy mieli na tyle energii, żeby coś zrobić to ruszymy. Natomiast jeżeli poczujemy, że nie ma energii, mielibyśmy coś na siłę robić, to nie ma sensu. Jesteśmy na takim etapie, że nagraliśmy bardzo fajną płytę „40 Winks of Courage”, ja ją bardzo lubię, jest bezkompromisowa, i ja i chłopaki, się podpisujemy pod tym w 100%. I lepiej skończyć na takiej płycie niż na siłę coś próbować napisać i potem wydać coś, z czego ani my ani fani ani management nie będą do końca zadowoleni. Także też trochę tak uważam, że trzeba wyczuć kiedy wstać i wyjść - nic na siłę. Ale po to jest ten rok, żeby sobie dać trochę czasu na porobienie swoich rzeczy, może nabranie energii i być może się okaże, że mamy zupełnie nową świeżą energię, że chcemy pracować. Zobaczymy.


Jakie 3 płyty zabrałabyś na bezludną wyspę?

Strasznie to jest trudne, bo ja nonstop słucham muzyki! Generalnie mam dużo takich piosenek, których słucham pojedynczo, niezależnie od płyt. Ale też mam kilka takich płyt, które słucham w całość. To na pewno byłaby jakaś płyta PJ Harveya, i prawdopodobnie „Is this Desire”, Myślę, że to by było „High Violet”, The National. Może, ponieważ ostatnio widziałam ich na żywo i strasznie uwielbiam ten zespół, to jeszcze Local Natives, „Gorilla Manor”.



Bardzo dziękuję za rozmowę!!

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Oto mam artykuły tłumaczenia tekstów piosenek Misi.


Mózg by Misia Ff

Kartonem by Misia Ff


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Young Stadium Club(ヤング・スタジアム・クラブ)


Hej:)

どもPaulaでございます。
今日もまたデビューアルバムがまだ出ていない注目の新人ロックバンドを紹介します☆

Young Stadium Club(ヤング・スタジアム・クラブ)
fot. Anna Jerzmanowska
▼プロフィール
2013年にŁódź(ウッチ)で結成された。9月に最初のEP「Waiting for the light」をリリースし、注目を集める。12月に2ndEP「Radio Edit」を発表。2014年5月に3枚目のEPをリリース予定。現在のメンバーはMaciej Ramisz(マチェイ・ラミシュ)、Dominic Buczkowski(ドミニク・ブチコフスキ)、Filip Sakowski(フィリプ・サコフスキ)、Chris Korczak(クリス・コルチャク)、Jan Bielecki(ヤン・ビェレツキ)
fot. Anna Jerzmanowska
まずは先入観抜きに音楽を聴いてみてください♪

Waiting for the light


いかがですか?なんかぐっとくる爽快感のあって好きです私☆
音楽ジャンル的には、ニューウェーブやインディーロック、オルタナ・ロックがセンスよく混ざり合わさってる感じです!英語の歌詞だから聴きやすいでしょ?

Back Home


この曲の出だしとかやさしくてきゅんとしちゃいますね♪
実は彼ら、以前に紹介したバンドKind Off(カインド・オフ)の一部のメンバーが、まったく新しく始めたバンドなのです!メンバーの一人がメッセでバンドのことを教えてくれました!ありがたい☆

Kids From The Sky


影響を受けているアーティストには、FoalsTwo Door Cinema Club、Foster the People、Bombay Bicycle Clubなんかを挙げています。

Be Like Forest Gump


メンバーの一人はロンドン出身らしい。構成は3ギター、ドラム、キーボード!こちらはTVに出演したときのLIVE映像です。

Waiting for the light Live


まだ結成して間もないし、出しているのは2枚のEPのみですが、既にラジオでも最初のシングルがヒットしてかかり、じわじわ人気を集めています。こちらは5月にリリースされるEPからのニューシングル☆

Want U


というわけで期待の新人ロックバンド、Young Stadium Club(ヤング・スタジアム・クラブ)を紹介しました☆
洋楽ロック好きには本気で聴いてほしいです!
fot. Weronika Pisarek
ここでEP聴けるし、買えるよ♪



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ポスターアートが有名なポーランドの映画ポスターをいろいろ発見♡

Daniel Spaleniak(ダニエル・スパレニャク)


Siemano!

どうもPaulaです☆

今日はこれまたデビューしたばかりのこちらのアーティストを紹介します!最近、新人がアツい!!

Daniel Spaleniak(ダニエル・スパレニャク)
foto.facebook
▼プロフィール
Kalisz(カリシュ)出身でŁódź(ウッチ)の大学でジャーナリズムを学んでいるシンガー・ソングライター。EP「Twenty Minutes Break」「Memories」2枚をリリースしたのち、2014年3月アルバム「Dreamers」でデビュー。
foto.facebook
まだデビューしたばかりだし、情報も少ないんだけど、おそらく20歳ぐらいだと思います!まずはこちらを聴いてください。

My name is wind


やばい、すごいクセになる。個人的にすごい好きな感じです。音楽ジャンルでいうと、オルタナティブ・ロック、ブルース、フォークなどの要素が入っていて、とても雰囲気のある音楽です。

Clouds


彼は元々歌っていなかったらしく、最初に出したEP「Twenty Minutes Break」は完全にインストゥルメンタル。2枚目の「Memories」でも2曲しか歌ってなかったらしい。

Voice In Your Head


ボーカルなしでもうっとりしちゃう音楽だけど、Daniel(ダニエル)の低い歌声でギターサウンドが織り成すメランコリーには惹き込まれちゃいます。
こちらもLIVE映像。

Full Package Of Cigarettes


Daniel(ダニエル)はただギターを弾くのが好きなだけなんだ、としかプロフィールに書いてなくて、すべては音楽を聴いてくれってことなんだなと思います。デビューアルバムはとても小さなレーベルから出しているのだけど、音楽好きを中心にじわじわと注目を集めているので、きっとくるねこれは!
こちらはアルバムのティーザー☆


期待の新人Daniel Spaleniak(ダニエル・スパレニャク)を紹介しました☆
雰囲気のあるオルタナティブ・ロックが好きな人にオススメです!
foto.facebook



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Oly.(オリ)


Hejka!

Paulaです☆

今日はアルバムデビューはまだだけど、素敵なアーティストを紹介します!

Oly.(オリ)
foto.facebook
▼プロフィール
1995年生まれ、Nałęczów(ナウェンチュフ)出身のシンガー・ソングライター。本名Aleksandra Komsta(アレクサンドラ・コムスタ)。2013年、18歳のときにオリジナル曲をYouTubeにUPし始め、音楽好きから注目を浴びるようになる。同年NEXT POPレーベルと契約。2014年春にデビューアルバムをリリース予定。
źródło: materiały prasowe
というわけで、まだまだ出てる情報も少ない彼女。とにかく音楽を聴いてみてください☆

The Chapter


トリップホップにも近いこの曲に、わたしは今すっかりやられています。きれいな歌声ってこういうビート、雰囲気に本当によく合いますよね!とはいえ、こんな感じでアレンジされている曲はまだあまりUPされていなくて、主にアコースティックな楽曲がYouTubeでは聴けます。

response


すべての歌詞を自分で書き、作曲もするOly.(オリ)。お気に入りの楽器はウクレレです。
すごく繊細で、シンプルだからこそ歌にこめられた感情が浮き彫りになる、そんなエモーショナルな音楽。

the deep


実は彼女に最初に目をつけたのはKARI(カリ)KARI(カリ)がワルシャワでのOly.(オリ)のLIVEに来て、気に入ってくれたことから、KARI(カリ)の所属するレーベルNEXT POPとの契約にこぎつけたそう。ちなみにNEXT POPは、ほかにもFismoll(フィスモル)BOKKA(ボッカ)など素晴らしいアーティストたちが所属しています!

lullaby for the outkast


このシンプルな音楽から歌声を通じてメランコリーを感じるスタイルは、イギリスのバンドDaughterも彷彿とさせます。ちなみに、Oly.(オリ)は好きなアーティストの一人にFlorence And The Machineを挙げています。人の曲をカバーするのは好きじゃないと言う彼女が唯一UPしたカバー曲はこちら。秀逸☆

Cosmic Love   by Florence And The Machine  (cover)


そういえば去年ポーランドでMarcelina(マルツェリナ)インタビューしたとき、彼女もを勧めてくれたんです!やっぱ早い人の耳に届いてるのね♪ もうすぐ出るはずの1stアルバムには新曲を中心にレコーディングしているそうなので、本当に楽しみです。

AFTER;LIFE


期待大の新人Oly.(オリ)を紹介しました!!個人的には大プッシュしたいアーティストです。是非聴いてください♪
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Drekoty(ドゥレコティ)


Witam!

どうもPaulaです☆

今日は最近久々のニューシングルをリリースしたこちらのガールズユニットをPICK UP!

Drekoty(ドゥレコティ)
fot. Witt Kornaś
▼プロフィール
2011年にピアニストでありドラマーでもあるOla Rzepka(オラ・ジェプカ)によって結成されたガールズ3人組ユニット。現在のその他のメンバーは、Natalia Pikuła(ナタリア・ピクワ)Izolda Sorenson(イゾルダ・ソレンソン)。EP「Trafostacja(配電塔)」で注目を集め、2012年アルバム「Persentyna(ペルセンティナ*薬の名前」でデビュー。2014年春に2ndアルバムをリリース予定。
ホームページ
fot. Witt Kornaś
この子たちスーパーかっこいい注目バンドです!まずは先日リリースされたばかりの新曲を聴いてください。

Spokój(平和)


どうですか、かっこよくないですか?音楽ジャンル的には分類がとっても難しいけど、いろんな要素が混ざっています。パンク、ロック、ノイズ、エレクトロ、ちょっとジャズやブレイクビーツもあるかも。

Nic(何も)


なんか本気なんです、音楽やってるけど、笑顔できゃぴって感じじゃなくて、本気と書いてマジなところが最高だと思います!爆発しそうなエネルギーが秘められてる感じ☆

Za(の後ろ)


ポーランドにこれまでいなかったタイプのバンドなので、1stアルバムを出してから非常に注目を集め、また高く評価されています。Off Festival(オフ・フェスティバル)やOpener(オープナー)、Męskie Granie(メンスキェ・グラニェ)などのビッグフェスでもプレイ済み!

Tramwaj(トラム)


歌詞は基本的にすべてポーランド語です。バンドの発起人Ola Rzepka(オラ・ジェプカ)はバンド結成前から、Pogodno(ポゴドゥノ)Wovoka(ヴォヴォカ)などさまざまなバンドやアーティストとプレイしてきました。いざ自分のバンドを作るとなったとき、男性とはやり方が合わなかったらしい。

Masłem(バターで)


Drekoty(ドゥレコティ)の音楽は緊張感あふれててゾクゾクします。デビュー当時からメンバーが2人も代わってて、オリジナルメンバーはOla Rzepka(オラ・ジェプカ)だけですが、もうすぐ出るアルバムの内容が楽しみです。
こちらはLIVE映像☆演奏技術の高さが伺えますね♪

Powrót(帰還)


Drekoty(ドゥレコティ)の音楽を紹介しました☆ パンク精神あふれるインディー・ガールズ・バンドです、是非聴いてみてください!
fot. Witt Kornaś
ここで聴けるし、買えるよ!


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Krzysztof Zalewski(クシシュトフ・ザレフスキ)


Halo Halo!

どうもPaulaでーす!
ただいま新企画を仕込み中です!今年はなんかイベントやりたいと思ってるので、決まってきたら、詳細UPしますね☆
今日はこちらの素晴らしい男性アーティストを紹介します♪

Krzysztof Zalewski(クシシュトフ・ザレフスキ)
foto.facebook
▼プロフィール
1984年8月24日Lublin(ルブリン)生まれのシンガー・ソングライター、マルチインストゥルメンタリスト。著名な作家、監督、俳優のStanisław Brejdygant(スタニスワフ・ブレイディガント)の息子。子どもの頃から音楽学校でピアノとドラムを学び、一方でギターも弾くようになる。2003年ポーランド版「IDOL」に出場して優勝したときは19歳だった。2004年にZalef(ザレフ)名義でアルバム「Pistolet(ピストル)」をリリースしてデビュー。その後はソロ活動よりもさまざまなバンドのサポートミュージシャンなどとして活躍。2010年からはバンドJapoto(ヤポト)の、2012年からはバンドMuchy(ムヒ)のメンバーとしても活動している。2013年11月にソロ2ndアルバムとなる「Zalig(嬉しい)」をリリースした。
ホームページ
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というわけで、「ポーリッシュ・アイドル」第2シーズンの優勝者です!まずは昨年リリースされたアルバムから、こちらのプロモシングルをどうぞ☆

Jaśniej(もっと明るく)


ぬうぅぅかっこいい!この1曲だけで言いたいことがたくさんあるけど、とにかく彼のボーカル力が素晴らしいし、ギターもかっこいい。
さらに言うと、このPV、いろんな映像をモンタージュしてるのですが、Monika Brodka(モニカ・ブロトゥカ)Kasia Nosowska(カシャ・ノソフスカ)Happysad(ハッピーサッド)Łąki Łan(ウォンキ・ワン)など有名アーティストたちもいっぱい登場してるのがすごい!!何人か分かったかな?

Zboża(穀物)


すごくいい声だし、声量も表現力も素晴らしいの一言!なんなんすかこの人。ポーランドのオーディション番組ってレベル高いよねってつくづく思います。ちなみに、彼はポーランドでもトップ男性ボーカリストの一人だと言われています。
こちらは「ポーリッシュ・アイドル」の最終ステージの映像!若いです。笑

Jeremy  by Pearl Jam (cover)


Krzysztof Zalewski(クシシュトフ・ザレフスキ)がこの番組でカバーしたのはハードロックやヘビメタの曲が中心でした。この後にBMGから出したアルバムもそっち寄りになってますね。でもこのアルバムには何曲かKasia Nosowska(カシャ・ノソフスカ)が提供している、というのは注目!
1stアルバムより。

Znikam(消えるよ)


こうして1stと2ndの曲を聴き比べると、この9年の間いかに彼が音楽的に成長したのかが伺えますね。この間Krzysztof(クシシュトフ)が何をしてたかというのも結構すごくて、HEY(ヘイ)Kasia Nosowska(カシャ・ノソフスカ)のサポートミュージシャンとして活動したり、Monika Brodka(モニカ・ブロトゥカ)と演奏したり、実験的ジャズバンドJapoto(ヤポト)を結成したり、ソロとして表舞台には出てない間もかなりアクティブに活躍しています。

Gatunek(種類)


彼はその9年間の間に、“音楽を聴く”ということを学んだそう。音楽学校に通い、早い時期から音楽活動をしてきた彼にとって、きっと音楽と向き合い直す期間だったのでしょう。結果、素晴らしいアルバムをひっさげて帰ってきてくれたのだから良かったですね☆
こちらはバルコニーでのLIVE映像。

Folyn


↑この映像、演奏のあとにミニインタビューが入ってますが、“僕は今でもメタルが一番好きだよ”って言ってるのが可愛いですね♪ 個人的にメタルは聞きませんが、メタル好きボーイズってキュートだと思います☆

Spaść(沈む)


Krzysztof Zalewski(クシシュトフ・ザレフスキ)の音楽を紹介しました♪
かっこいいギターサウンドや表現力の高い男性ボーカル、ロックが好きな人は是非聴いてください!
fot. Materiały prasowe/kayax


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CeZik(ツェジク)


Siema!

Paulaです☆
今日はインターネットから生まれたポーランドの怪アーティストを紹介します!

CeZik(ツェジク)
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▼プロフィール
1985年Gliwice(グリヴィツェ)生まれのシンガー、ギタリスト、作曲家。本名Cezary Nowak(ツェザレ・ノヴァク)。ロボット工学を学ぶ。2008年よりYouTubeにて著名曲のカバーやパロディー、オリジナル作品を公開するようになり、絶大な人気を得るようになった。
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YouTubeページ
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わたしは去年ポーランドへ行ったとき、いとこが見せてくれて初めてCeZik(ツェジク)の存在を知ったのですが、この人はやばいです。まじ天才!!
まずは彼が有名になったこちらの動画を見てください☆

Od tyłu i klasycznie(後ろからと名作)


最初の半分は何語で歌ってるかも分からないし、こいつ何やってんだ?的な感じなのですが、後半に映像が巻き戻されるととたんに数々の名曲が逆から歌われていたのが分かります!!
(ポーランドの名曲なのであまりご存知ないかと思いますが、でも曲になってるのは分かりますよね?)
すげー!!アイデア自体は彼のものではないらしいのですが、それでもこれが作れるのってすごい!!
こちらはカバー曲ですね。見れば分かるのですが、全部のパートを自分でやっちゃうし、映像も編集しちゃうんです。

Use Somebody  by Kings Of Leon (Cover)


しかも結構いい声してるし、ギターもちゃんと弾けます。むしろ他の楽器もできちゃうし、本当に器用だな〜と思います。
で、こういうカバーの他に爆笑パロディなんかもあります!これは元の映像見てからの方が面白いので、まずはこちらを見てください。



まっ普通に見ると、アメリカに移住してそこそこお金も持ってるポーランド人男性が沼地でワニに鶏肉をあげている映像ですね。最初は英語でしゃべってるくせに後半ワニが襲いかかってくるとポーランド語スラングを連発して退却しようとしてて、それだけでも結構笑えますww
で、CeZik(ツェジク)がそれをどう料理したかというと・・・?



先の映像でポーランド人男性が発した言葉、“FUCK"や“Get Outta Here"などポーランド語なまりの英語を歌詞に取り入れて、オリジナル曲を作っちゃいました!笑
これ、やっぱポーランド語分からないと笑えないかもしれませんが、すごいセンスだなと思います!
こちらはカバー曲☆昨年2013年の夏にポーランドで大ヒットだったディスコポロなんです。まずはオリジナルの方をどうぞ☆

Ona tańczy dla mnie Weekend


こんなまさにディスコポロな曲をCeZik(ツェジク)はジャズ風にカバー♪



ほかに、映像に完全オリジナルな歌詞や曲をかぶせて、全然違う意味の映像を作っちゃうなんてお遊びもやってます!『KlejNuty(クレイヌティ)』というシリーズです☆
例えばこれ。イギリスのオーディション番組「The Britain's Got Talent」にポーランド人の男の子が出演!という映像。

POLAK W BRYTYJSKIM MAM TALENT!!!(ポーランド人がイギリスの「The Britain's Got Talent」に出演!!)


一見すると本当にポーランド人男性が出演したかのように見えますよね?ポーランドでは最初、みんなが信じてしまったため、一晩でこの映像の再生回数が100万回を越えちゃったんです!
しかしこれもCeZik(ツェジク)の仕業☆この歌は彼が作ったもので、歌詞もすっごいくだらないのです。それに対してポーランド語を分からない審査員たちが口々に「感動したわ」と言ってるのも、ちょう笑えます!元ネタはこちら☆



皮肉っぽいユーモアとセンス、ミュージシャンとしての才能がもう本当におもしろくって、すごい人だなぁと思います。ポーランドでもすごい注目されていて、アーティストにもファンは多いです。Czesław Mozil(チェスワフ・モジル)には「カバーの王様」と呼ばれて一緒に共演もしているし、Mela Koteluk(メラ・コテルク)と割と(?)まともなデュエットもしています!

Nieprzytomny świat(意識のない世界) ft. Mela Koteluk(メラ・コテルク)

CeZik(ツェジク)がUPしてるYouTubeの映像の総合再生回数は1億回を越えるほどの人気!!
まだオリジナルCDは出していないものの、『KlejNuty(クレイヌティ)』シリーズをLIVEで演奏するツアーに出ています。
特に若い世代を中心に注目を集めるインターネット界の寵児なのです。
ポーランド語が分からないとなかなか魅力が伝わりにくいし、わたしの筆力ではそれを全然伝えきれてない感じが残念ですが、是非彼のYouTubeチャンネルのぞいてみてくださいね♪
foto.facebook

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